三賢者の賢者生活

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装甲悪鬼村正 

<ネタばれ注意>

アユムです。
今回は「装甲悪鬼村正」の感想を書いていきます。
正確には書いていきますというより自分用に趣味で書いたものをこの記事に張り付けることになります。

よってこれまでとだいぶ違う文章の感じになっていることもあるかもしれませんのでご了承ください。
あと上記してありますがネタバレしまくっているので、プレイしていない人は読まないことを強くお勧めします。

感想は「概要」「好きなキャラ」「シナリオ感想」「テーマ性」「演出、グラフィック」「システム」「総括」の項目で書かれています。



ということでここから先はコピペです。











装甲悪鬼村正

・概要
Nitroplusから発売されている過去の名作「装甲悪鬼村正」の感想である。
時間のある大学生のうちにやっておきたかった作品の一つであった。
「善悪相殺」のキーワードに沿ったシナリオ展開で、クリア後には価値観を変えるほどの力がある作品である。

世界観は「六波羅」によって支配された「大和」の鎌倉周辺を中心に描かれる。六波羅は「劔冑(つるぎ)」という装甲型の武器を用いて大和を武力によって支配しており、人々はこれにより年々疲弊し続けている。また、人々にとっての脅威は六波羅のみにあらず、「銀星号」という名の一騎の武者は、逃れようのない天災として人々の間では知れ渡っていた。
本作の主人公、湊斗景明は訳あってその銀星号を追い、止めるために様々な事件にかかわっていくことになる。そしてそのたびに殺人を犯していくのであった。

詳しい世界観設定は公式サイトで確認を。
 
・好きなキャラ
1. 湊斗景明
 本作の主人公。そも今作はこの湊斗景明の生き方を描いた作品であるといえるので、この主人公が好きでなければ今作を楽しむことは難しいだろう。
 景明は見る人に陰鬱そうな印象を与える見栄えをしている。性格は実直で不器用、しゃべりはその実直さがうかがえる裏表ない言葉を用いることが多い。しかし意外と冗談を口にすることもあり、特に三世村正や大鳥大尉との会話では大いに笑わされた(戦闘中にも冗談を口にしており、意外と余裕だなと思ったことも多々)。

 景明は妹?の光(本当は娘だと推察される)を救う、または止めるために行動をしていくが、光の命とその他大勢の命を天秤にかけ葛藤し続けていく。また、景明は光を止めるために幾人もの人(善良な一般市民なども含む)を殺すことになるのだが(一部例外あり)、その行為の正当性についても永遠と葛藤している。いや正当ではないと景明は思っているが、それでもなお光を殺すのか(殺せるのか)どうかを悩んでいる。
それらこそが本作の本筋の一つといえるだろう。景明の英雄のように英断することができず、どこまでも人間らしく悩みぬくさまがとても印象的であった。
 様々な主人公を見てきたが、ここまで自分を否定し、それでも目的のために邁進する男は初めて見たように思う。そこに惹かれた。

 戦闘面においては“最強”と呼べるような強さは全く持っておらず、己にできる最善を尽くそうとするような戦い方だった。それでも相方の村正とともに幾多の戦場を切り抜けていく姿はやはりかっこよかった。
 
2. 三世村正
 (これ以降ただ“村正”と書いた場合は三世村正のことである)
 湊斗景明の「劔冑」。最初は蜘蛛の姿をしているが、ルートに入ると人型になれるようになる。かわいい。
 褐色白髪で、やたらセクシーな服を着ている。かわいい。
 劔冑としての冷淡なしゃべり方をすることもあるが、景明や茶々丸などに対しては感情的になり、素の意地っ張りな一面が見れることがある。かわいい。

 村正には劔冑としての大きな特徴がある。村正の仕手(景明)は、敵を一人殺すと必ず味方を一人殺さなければならないという掟に縛られる。この特徴は物語のテーマであると同時に、物語進行にも大きく関係してくる。景明が善人も殺している理由はここにあり、葛藤の理由の主要な一つでもある。
 村正はこの掟とそれに伴う罪を景明に強いていることに対して強い抵抗を覚えるが、村正ルートではそれらを二人でともに背負うことで、絆を深めていく。
 景明の唯一無二のパートナーである。

3. 足利茶々丸
綾弥一条

この二人も次いでお気に入り。個別には書かないが、のちのシナリオ感想の部分で少しずつ好きなところに触れている。

・シナリオ感想
 共通(4章分)
 大まかにいうと、この物語はどんな物語なのかを説明してくれる長いチュートリアルである。世界観、湊斗景明、村正の掟などをストーリーをもって教えてくれる。しかし、それのみではなく後々の伏線になっている細かな事象も数多くあり、しっかり整理して覚えておくと後半で得られるカタルシスがより多く、大きくなる。
 章単体で見ても盛り上がりがあり面白い。こういうところに完成度の高さを感じる。また、その章では教えてもらえない不可解な事象に関しても、予想して楽しむことができとても満足した。

 英雄編
 綾弥一条のルート。一条は正義となり悪を滅ぼすことに身命を賭すことになる。
 そのうえで、湊斗景明が殺人者であることを知ってしまい、己の正義と景明への想いを葛藤することになる。

 景明も言っていたように、一条のまっすぐ正義を貫こうとするその姿はとても美しく、きれいである。その反面、歳相応の弱い部分が一条というキャラをより一層引き立てている。
 本ルートは作品中でもトップクラスの熱い展開があり、正義こそが戦争の引き金と考える景明達と、それでも正義を信じる一条の互いの信念のぶつかりが印象的で、面白かった。このルートはテーマ性に大きく触れるので、後述の“テーマ性“の項目で詳しく書いてある。
 
復讐編
 大鳥香奈枝のルート。香奈枝は景明に復讐することを誓い、景明はそれをこそ欲する。

 本ルートは景明が一章で殺した雄飛が実は大鳥家の跡取りであったため、それを知った香奈枝に復讐を誓われる。また、景明も香奈枝に養父を目の前で殺されており(その時は香奈枝だと気づかないのだが)、その復讐に景明も養父を殺した武者を殺そうとする。
 復讐編と銘打ってあるだけあって、主人公、ヒロインともに心に復讐を誓った者たちの話となっている。

 ただ正直、私は香奈枝のキャラ性を理解できていない、または認められない。香奈枝は幼いことから他者の復讐を代行することで己の殺害欲求を満たしていた。復讐は誰もが考えることのある正当な(というよりは普遍的な)行いだと私も思うが、しかしそれを代行することは決して正しいとは思えなかった。ましてそれが自己の殺害欲求を満たすためとなれば。
 本作は全ルート通じて殺人はどんな理由があれ正当化されないと謳っていることもあり(これについては後述する)、香奈枝のこの行いは卑怯だと感じた。(景明に対する復讐は代行ではないのだが)
 総じて考えると、香奈枝は殺人者であるにも関わらず、あくまで報いを与える側にのみ立ち、さらに景明や侍従に守られていることが納得いかないのかもしれない。よって香奈枝はそんなに好きではない。
 
 魔王編
 本作のメインルートで、分岐によっては茶々丸ルートに入ることもできる。
 景明と村正は互いを真のパートナーだと認め合い、銀星号に立ち向かっていくことになる。また茶々丸が本格的に話に参戦してくる初めてのルートでもあり、茶々丸が所属する本作では黒幕のような組織「緑龍会」もここで初めてはっきり出てくる。(「緑龍会」の目的は銀星号を利用して神を地上に上げることにあり、本ルートでは景明は途中から銀星号による精神汚染の影響でその暗躍に手を貸すことになる)

 序盤は茶々丸によって銀星号の正体(+光の現状)が明かされていくことになるだが、それにより景明の悩み(光を殺すかどうか)がさらに深まっていく。しかし、悩んだ末の結論を出す前に茶々丸によって景明は洗脳され、景明が六波羅側(正確に言うならば緑龍会側)につくことになるお話である。
 洗脳されているときの景明は、光を救うためならば何でもするという振り切った考え方をするようになり、口調や態度に自信というか風格が出るようになる。その景明は見る人によっては魅力的に写ると思うのだが、私は景明らしくないなと感じた(洗脳されているのでそりゃそうなんだが)。目的があり、成し遂げなければならず、しかしその方法に自分で納得できない、ゆえに悩む、そんな景明にこそ魅力を感じると、このルート(のこの景明)を通じて改めて思わされた。

 お気に入りキャラの一人である茶々丸は、そのちゃらちゃらとした考えなしのようなしゃべり方と、それとは裏腹な頭の良さに惹かれた(頭がいいというよりはロジカルなだけという気もするが)。ルートに入る前から結構好きなキャラだったのだが、魔王編に入り目立つようになってからはより好きになっていった。お気に入りのCGは寝起きに景明の上にまたがっているやつ。まじ好き。
 茶々丸ルートは、洗脳解除に来た村正を前にして、村正と茶々丸どちらを取るかを選択する際、茶々丸を選択するとルートに入れる。ルートといっても分岐から先はだいぶ短いのだが。
 だいぶ短い関係もあってか、茶々丸はルートに入らないほうが何ならいいところを見られる。
 
 茶々丸ルートに入らず村正を選び魔王編の後半に入ると、ついに銀星号との決戦が来る。本作では一番熱く長い戦闘シーンだった(人によっては正宗との戦闘のほうが熱いという人もいるだろうが)。
 しかし決戦の前にある話としていくつか書かねばならないことがある。
 一つは茶々丸の最後である。すごく好きなシーンの一つ。「これは足利茶々丸の。お兄さんへの。世界への。最後の――呪いだ」というセリフの意図を理解した時の感動が忘れられない。茶々丸は間違いなく世界に対するテロリストと呼べる存在だったと思うが、それでも憎めないのはその不器用さと儚さによるものだと思う。
 もう一つはその後の大太刀完成に伴う景明の心象風景に入り込むシーンである。ここではほぼ選択肢のみで話を進めなければならず、そこそこ苦戦した。ていうかイマイチクリア条件を把握しきれなかった気がする。ある程度「このイベントが起きたからこっちに行けばよいのでは」という予想をしてプレイしたが、あてずっぽうの面も多々あったような。正直この部分の選択肢はあんまりおもしろくなかった。
しかし、シナリオとしては必要な要素がふんだんに盛り込まれており、最終戦闘前に必須のイベントであることは間違いなかった。決戦前の心の準備を整えることがこのイベントで出来た(プレイヤーも景明も)。
 最終決戦では、神との戦闘は金色のでかいおっさんが出てきたせいで若干気持ちが削がれたが、銀星号との決戦は今作最高の戦闘だった(上にも書いた)。
 特にクライマックスの演出は最高で、景明の魔剣「装甲悪鬼」には胸が熱くなった。光にとって納得のいく結末になったのは間違いなくこの魔剣のおかげである。景明にとっては、光が死んでしまう時点で納得のいく結末とはいかないだろうが、自分に‘けじめをつける’ことができた結末ではないか。

 悪鬼編
 銀星号との決戦で終了と思われた今作だったが、これで終わらないのが今作のすごいところだと思う。もし今作が英雄譚であったならば魔王編で終わっていただろう。
 悪鬼編は、銀星号との決戦後なぜか生き残ってしまった景明がその後どう生きるのか思い悩む話である。
 
魔王編と悪鬼編の間にはエピローグが挟まっている。これには様々な効果があるように思う。
 一つは、エピローグとした話を決戦後に入れることで、魔王編で終わりと見せかけることができる。このミスリードで、より悪鬼編があることが普通ではないことを強調できていると思う。
 もう一つは、エピローグには悪鬼編での結末をある程度予測させる効果がある。それによって、悪鬼編での景明のぐだついている姿をみて辟易して、プレイをやめてしまうことを防止する効果があるように思う。
 とは言ったものの、個人的には悪鬼編は景明が死ねず、さらに罰すら与えられないことに絶望し、ぐだつくことこそが悪鬼編での、ひいては今作での大事なファクターであると思う。前述したように、景明が英雄で本作が英雄譚ならばこの章はいらないのである。この章があってこそ今作は完結できるのだと思う。
 また、村正に対してさらに思い入れが強くなる章でもある(シーンもあるし)。村正を、銀星号を倒すまでのパートナーではなく、一生のパートナーとすることを決心する。
 
今作のクライマックスとして、景明にとって唯一の敵といえる雪車町一蔵が登場する。
雪車町は本記事には一度も登場していないキャラだが、作品ではこれまでに何度も、様々な場面で登場してきた。
悪鬼編を除き最も目立ったのは、共通ルート終盤の江の島編であろう。ここでは景明と雪車町の一騎打ちが行われる。雪車町は真打の武者を使っていないにも関わらず、景明と同等以上に戦闘を繰り広げる(景明が万全ではない状態ではあるが)。この戦闘中、雪車町は景明の生き方そのものを否定し、景明は雪車町が自分にとっての宿敵であることを悟る。
そんな二人が物語最後にもう一度向き合うのは、運命であったろう。
景明は雪車町と向き合うことで、己の宿業から逃げることをやめ、罪を背負ってなお罪を犯すことを選ぶことになる。装甲悪鬼村正は、景明が「殺人により人を救う」という悪行を戦がなくなるまで一生続けることを決めることから真に始まるのである。

・テーマ性
 (感想の部分と被る内容があるかと思われる)
 本作は、テーマ性がとても強い作品だと思う。
 まず本作を起動した瞬間から表示される「善悪相殺」の文字。これがまさしくテーマであろう。善悪相殺は、はじめは村正による呪いとされ、「悪人を一人殺したなら、善人も一人殺す」という掟である(これはシナリオ感想で書いたが、この掟にはシナリオの盛り上がりを促進する効果もあった)。しかしこれは善悪相殺の要素をルール化したもので、実際の意味合いからは少し離れている。善悪相殺とは、「悪人と思って殺したその人は、別の人にとっては善人である。よって殺人とは常に善人と悪人を同時に殺しているのだ」ということを戒める言葉である。本作はこのテーマを全章通じて表現され続けており、殺人が不変の悪行であることを語っている。

 英雄編ではさらに転じて、景明は英雄(正義)こそが戦争を生むと考えるようになる。英雄に便乗させられて、または英雄によって許容されて戦争をする衆生はたくさんいる(例えば英雄によって正義という名の大義を与えられることで人々が戦争をするように。例えば英雄に勇気を与えられた者がその勇気を胸に悪に立ち向かい戦いが起きるように)。よって英雄こそが戦争の元凶である、ということである。
 これに対し一条は別の答えを自分の中で示した。景明の理論は理解できる、それでも、正義は存在する、とした。正義を胸に戦い続ける果てに、真に正義と呼べるものがあるはずだと(この一文には矛盾がある気がするが、これは戦いの果て、すなわち戦争終結による平和という‘普遍的な願い’にたどり着けることだと解釈した)。
 そうした場合、景明と一条は方法が違うだけで目標(戦争をなくす)は同じということになるので、お互いが理解しあうのも当たり前であるように思える。
 
 また本作では「武」という言葉が多用されている。これもテーマの一つである。光は世界に武の法を敷く(天下布武)ことを目標としているし、景明も武の本質について言及している。
武とは、弱肉強食を掟とし相手を制する(殺す)ものである。銀星号の詩はこれを表したものである。
悪鬼編では、景明は武をもって武の悪辣さを世に知らしめるべく殺人を続けることになる。これは、村正の製造目的にも合致する。このルートではないが、このことを表した「これからも無益無法の戦いをする」というセリフには心を打たれた。

・演出、グラフィック
 本作で間違いなく書かなければならないのは武者による戦闘演出である。
 ムービーで描かれる戦闘シーンは滑らかに動いていて、描写による戦闘の脳内保管として大きな手助けとなった。それに伴う3Dグラフィックは迫力があり、作品の売りの一つといえる出来栄えであると思う。
 武者のデザインもかっこいいものが多く、お気に入りはやはり三世村正であった。モブ武者や敵武者もなかなかにかっこよく、思い返すとハズレがなかったような気がする。
 演出面として、この作品は選択肢が面白かった。即死選択肢が多々あることは、人によってはストレスになるから評価が下がると思うが、個人的にはそれも大いに楽しんでプレイできた。特に戦闘中の選択肢では、あまりの難しさに笑った。一番難しいのはおそらく復讐編の最後で、過去の戦闘を細かに覚えていないと正解することができず、nitro+らしさを感じた。(“ととの”を思い出してそう感じた)
 またシステムの一部でもあり、演出にも一役かっているのが好感度表である。好感度表の作り自体はそんなに特殊なものではないのだが、本作の「善悪相殺」の掟と兼ねてみるとその演出効果は凄まじい。好感度を一番高い状態にしていたヒロインが、章間でズシャッと切られるあの瞬間は唖然としてしまった。あー、そういうね、って察するきっかけにもなりました。
 演出といえば、銀星号との最終戦闘のときの計算問題は賛否両論でしょう。私は計算が好きだったので賛成派です。しかし、基本的には否定派が多いのではないかと思っています。クライマックスで水を差されたのは間違いないので。

・システム
 設定画面のデザインが凝っていることにまず感心した。こういう細かいところにこだわりを感じると、作品にも期待できるなと思った。
 周回の関係で、ふつうのスキップではなく高速スキップを使う場面が多々あったのだが、少々性能が悪いのか、あんまり速くないように感じた。
 それ以外は特に不満はなかった気がする。
 周回特典という名のおまけモードではOPなどの映像が見れ、クリア後にもう一度OP映像を見るのを習慣にしている自分にはありがたかった。

・総括
 過去の名作と今回最初に書いたが、この作品の完成度の高さはこれまでやってきた作品の中でも間違いなくトップクラスだった。
 「善悪相殺」という強烈なテーマを全面に出しながら、細部では構成、世界観、伏線、グラフィック、戦闘、キャラ、どれをとっても非常にレベルが高かった。
 様々な面において抵抗がないならば、一生のうちで一度は必ずやっておいたほうがいい。
 とりあえずこれで一度書き終わりとするが、あくまでこれは現状での理解であるし、そもそも私の能力不足で書ききれていないことも多々ある。
 この作品についてはこれからも長く考察を続けていくことになるだろう。





コピペ終了


長くなりましたが、いかがだったでしょうか。
総括にも書きましたが、書き切れていないことがたくさんあるので、時間があるときにもう少し詰めていきたいものです。

この感想に対してのご意見などをぜひお待ちしています。